主治医に退職の意向を打ち明けました

今日は通院日。

私がこのクリニックに通うようになって、10年以上が経過している。

お陰様で、ここ5~6年は体調が大きく崩れることが少ない。

先生とは月に数回の頻度で定期的に顔を合わせていることもあり、私は先生に心を開いていると思う。

毎回の診察では、体調や気分の変化といった内容以外にも、雑談をする機会をいただいている。

社会問題や文学といった内容について、先生と話をするのが楽しみにもなっている。

今日の通院の際に、先生に今の職場を退職しようと考えている旨を伝えようと決めていた。

葛藤はあった。

なぜそうするのか、今後の生活はどうするのか。

そういった要点について、論理の破綻や詰め切れていない部分があって、とがめられたりしないだろうか。

思い切った決断をする際、誰かにそれを打ち明けるのは勇気が要る。

でも、何かを「辞める」という決断をして、それを打ち明ける際の勇気はいつもより大きい。

なぜだろう。

なぜ、何かを辞めるという決断をするのは怖いのだろう。

変化を恐れるから?

それだけじゃない。

妙な後ろめたさがあるのは、自分が現況を放棄しようとしているという気持ちになるからなのだろう。

特に、職場を離れる意向を示すというのは非常に後ろめたい。

自分の体たらくを顧みずに、不満が詰まった硬いボールを職場に投げつけようとする絵が浮かんでしまう。

育休を長くとらせていただいたのに、恩を仇で返すような気がしてつらくもなる。

だが、自分の人生の決断なのだから、家族以外の人間の視点を過度に恐れる必要はないのかもしれない。

そう信じたい。

そう信じなければ、いつまでも辞めることができない。

辞めるメリット&デメリット、辞めないメリット&デメリットを何度も考えてきた。

そのうえで「辞める」の方に傾いたわけだから、それを信じてみることにしたい。

最近の出来事や体調の変化といった基本的な内容を話してから、少し間を取って「今日は話したいことがありまして」と私は切り出した。

ひどく緊張していて、言葉がいつも以上に途切れ途切れになった。

それでも、先生は相槌を打ちながら静かに聞いてくださった。

ありがたい。

とがめられるのではないか、自分の考えを一笑に付されるのではないか。

私はそういった、起きもしないことを不安がってしまう性分なのだ。

先生はそのことだって知っているだろう。

物事の損得は、お金や待遇の良し悪しだけでは決められない。

だから、あなたが長考して出そうとしている決断を信じてみなさい。

そういったことを先生はおっしゃった。

ありがたい。

言えてよかった。

まだまだ考えなければならないことがあるけれど、今日はこれだけで充分だった。

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