リワークの体験通所初日を終えた私は、ひどく緊張していた状態から解放され、帰宅してぐったりとして横になってしまいました。
しかし、うっすらとした希望を持つことができたのです。
「これなら通えるかもしれない」と。
社会生活における「当たり前」
これまで社会生活を送ってきた中で、周りは上手く立ち回っているように見えるのに、自分だけ上手くできないな...という思いから、私は心を病んでしまっておりました。
自分は上手くできないのに、周りの人はそれについて悩むことなく、涼しい顔で当たり前にこなしているんだろう。
そう捉えてしまうと、私だけできていないという実感から、まるで落伍者の烙印を押されたような気持ちにもなったものです。
なぜ自分は駄目だと捉えてしまうのでしょうか?
うつのときに、自分だけが落伍者だと思い込んでしまう現象が起きる原因。
おそらく、社会の構造が、何かを上手くできない人の目線にチューニングされていない場合があるからなのではないかと思います。
もちろん、上手くできない人に寄り添い、親身になって相談に乗り、手助けできる環境があるのが理想的です。
しかし、そうもいかないのがつらいところです。
社会生活においては、できることが当たり前とされている事項がいくつも存在しているように思えます。
できて当たり前なので、できたことについては称賛されないこともありますが、できないことについては叱責や誹りのの対象になることがあります。
また、できている人の目線で、できないと思い込んでいる人への意見、アドバイスが与えられるとき、どうしても「なんでこんなことができないの?」「気持ちの持ちようだよ」といったニュアンスが含まれてしまうように思えます。
「できる人」は、相手が「できない」と思い込んでいる理由について、はっきりとはわからないのかもしれない。
と、当時の私はそう信じ込んでいる節がありました。
だから、誰に相談しても無駄だ、とさえ思っていました。
相談ができるかもしれない
リワークの体験通所初日を終えた私が、なんとなく直感で思ったこと。
それは、相談できる人ができるのかもしれない、ということでした。
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