自動思考の歪みには、10種類の「推論の誤り」が関係しています。
今回はそのうちの1つ、「一般化のしすぎ」について書いてみたいと思います。
一般化のしすぎとは?
何か1つでも嫌なことがあった場合に、それをすべての事象に当てはめてしまう考え方です。
嫌な出来事による心のざわつきは、時に鮮烈に記憶に留まり続けます。
その嫌な記憶が強く残り続ける結果、再び同じような嫌なことが起きるのではないかと決めつけてしまい、その場に出ること自体を恐れてしまうことになります。
一般化のしすぎの例
例えば、気になる女性をデートに誘ったところ、断られてしまったとします。
その女性の反応を思い起こし、「デートに誘ったところで、私と一緒にデートしたい女性などこの世にいないはずだ。私はもう、生涯孤独に生きていくしかないのだろう」と思い込んでしまうのが、一般化のしすぎの怖いところです。
一般化のしすぎへの反証
先ほどのデートのケースを例に挙げると、「1回デートに断られたということは、その女性は今後も私のことを拒否し続けるはずだ。そして、世の中の女性は皆、私のことを同じように拒否し続けるはずだ」という推論となります。
その女性は、その日偶然予定が合わなくて断ったのかもしれません。
また、その女性から仮に拒否されたとしても、人間は人それぞれ好みの趣向が異なりますから、世の中の全ての女性が同じように拒否するということは考えられません。
それをひとくくりに「女性」は私を「拒否」するものとして捉えてしまうのではなく、自分とよく合う相手を探す方が自然ではないでしょうか。
一般化のしすぎから抜け出すために
一般化のしすぎの極端な例として、「散歩中に頭の上に鳥のフンが落ちてきた」ことにより「こういう運命だったのだ。もう二度と散歩などしない」と決めつけてしまうようなケースがあります。
これまでの人生で、散歩中に鳥のフンが落ちてきたことなど一度もないのにも関わらず、一般化のしすぎによってもうやらないと決めつけてしまっています。
上手くいかなかったケースの方がレアケースなのに、それを一般化するのは誤りです。
「たまたま、こういうことだってある」と切り替える方が上手くいくでしょう。
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