リワーク通所の体験談13 ~自分で自分を褒めてみる~

リワークでは、朝と帰りに1回ずつ、ミーティングがありました。

帰りのミーティングでは、スタッフさんから指名された2名が、その日1日の通所を振り返った感想を報告する時間があるのですが、そのときに必ず行っていたのが、自分自身を褒めるということでした。

なぜそのような時間を設けているのか、理由を見ていきましょう。

うつになっているときの自己評価

うつになっているときの自己評価は最低最悪です。

「どうせ自分なんて...」「自分は何をやったって駄目で...」この思考に陥っているから、とてもつらいのです。


ただ、その評価は正当なものでしょうか?

第三者から見たら充分やれているのに、本人は駄目だ、できない、と思っていることがあります。

自分自身に自信を喪失していると、自分は何をやっても上手くいかない駄目な奴なのだと思い込んでしまうことがあります。

自己評価と他者からの視線

そういった自分は駄目な奴だという自己評価をしているとき、同時に頭の中にあるのは「自分は駄目な奴だと、みんなもそう思っている」という考えです。

自分で自分のことを駄目な奴と認定していて、周りのみんなも同じように思っているのが本当であれば、どこにも救いがないように思えてしまいます。


しかし、この場合の「みんな」とは、誰のことなのでしょう?

心底おびえてしまう「他者からの視線」は、本当に他者からの視線なのでしょうか?

他者からの視線だと思っているものも、実はただの自己評価なのではないでしょうか?

自分自身で、「私のことを駄目な奴扱いする『みんな』」の存在を作り上げている可能性があるのかもしれないのです。

何もできない自分などいない

そもそも、仮に自分が駄目な奴なのだとしても、本当に何もできないなんてことがあるのでしょうか?

例えば、その日にリワークに通えたのであれば、午前中のカリキュラムに間に合い、午後まで過ごすことができています。

もっと噛み砕いてみると、朝決まった時間に起きられましたし、身支度もできましたし、食事も取れたかもしれませんし、靴をそろえられたかもしれません。

他の通所者の話に耳を傾けたり、簡単な談笑だってできたかもしれません。


「なんだ、そんなこと。できて当たり前だし」と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。

仮にそれが当たり前にできることだとしたら、評価の対象にはならないのでしょうか?

そもそも、当たり前にやれていたことができなくなるのが、この病気の怖いところなのだと思います。

自分を褒める勇気

だから、自分で自分を褒める時間が、リワーク中に設けられているのです。

とはいえ、最初はとても違和感があります。

「こんな簡単なことで自分を評価してしまうなんて、みんなに笑われないだろうか...?」などと考えたりもしますが、大丈夫です。

誰も笑わないどころか、そうやって自分自身のことを評価できたあなたのことを、みんな好きになっていることでしょう。

リワーク中は、みんなが同じような悩みで苦しんでいることもあるので、発言者が自分で自分を褒めた言葉を聞くと、なんだかそれを聞いた自分も褒められたような気になることがあります。

自分の一番の味方は自分

そうです。

つい忘れがちですが、自分の一番の味方は自分なのです。

だから、自分を駄目な奴だと決めつけないためにも、できたことを見つけてどんどん褒めていく方が良いのです。

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